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日本のミスター・ヌードル
 ラーメンに一生を捧げた男性が5日に死去したニュースは、そんな個人はいないと思っていた私たちを驚かせた。インスタント・ヌードルの発明はチームワークによる成果だと想像していた。個人を犠牲にした企業の努力、たとえばホンダ・シビックやソニーのウォークマン、ハロー・キティのように。みな戦後の日本を象徴する消費財で、チームの結晶だ。

 だが違った。96歳で亡くなった安藤百福さんは労働者のために安くてまっとうな食品を模索していた。58年に独力で即席めんを発明した。安藤さんの発明品、乾燥して固めためんを小さな袋かカップで売る商品は、自らが創始した企業、日清食品を世界的な企業へと発展させた。同社のサイトによると、即席めんは一日1億食以上が消費されている。同社の代名詞となっているカップヌードルは、06年に250億食に達した。

 即席めんにはほかの商品もある。缶詰スパゲッティだ。こちらはほのかに甘く、ねばねばしているので犬御用達だ。箱入りのマカロニとチーズは手近な食品だが、作り方はやっかいだ。まずマカロニをゆでなければならず、くっつくのを防ぐのにかき回さなければならず、要領も必要とする。水切りボールを使ってお湯を切らなければならず、ばかげたことに自分で調味料を用意しなければならない。クラフト社はバターとミルクくらいは自分で持っているだろうというのだ。これらの努力が割に合うとは思えない。

 これに対して即席めんはいたって簡単な料理だ。卵やお茶のように、必要なのはお湯だけだ。3分待てば、めんがやわらかくなる。エンドウ豆もにんじんも生き生きと膨らむ。重さもほとんどないプラスチック容器がごちそうになり、学生たちは一食20セントで食事にありつけるのだ。

 もちろん利点ばかりではない。ラーメンの袋は裂けやすく、めんがこぼれることがある。スープの袋はまっすぐ切れない、中身が底に残ってしまうので、もしかして味が薄いのではないかと思ってしまう。カップに収まったよじれためんは見た目に美しいが、ずるずる食べると口まわりにスープがついてしまうし、コンピューターの画面に汁がついてしまう。

 だが、それらはとるにたらぬことだ。即席めんによって安藤さんは人類史において不動の地位を得た。釣りを教えれば一生食うに困らないが、即席めんを与えれば、何も教える必要はないのだ。(ローレンス・ダウネス 9日付)
http://www.nytimes.com/2007/01/09/opinion/09tue3.html

 
| comments(7) | trackbacks(148) | by madoko
肥満の通知に怯える人々
【ペンシルバニア州ブロスバーグ】6歳になるカーリンド・ダンバーさんは、ほとんど夕食に手をつけなかった。だが、この年頃によくある理由からではない。パスタがへんてこな形になっているのではなかった。人形たちとのデートにせっつかれているわけでもなかった。

 問題はカーリンドさんが見つけた手紙にあった。それは通知票にはさまれていて、BMI指数が百分率で80となっていた。この一年生には「指数」も「百分率」も理解できなかったし、百分率で5から85の子供たちは正常と見なされることも知らなかった。一方、85を超える子供は肥満の危険があるか、すでに肥満であることも知らなかった。

 にもかかわらず、彼女は担任が食べ過ぎを戒めていることを確信していた。

 その手紙が届いて以来、「私の2歳の子のほうが娘よりも食べるようになったの」と、母親のジョージアナさんは言う。ジョージアナさんは学校に不満を述べ、困惑している娘を助けようとしている。「あの娘はやっかいなできごとに巻き込まれるのではないかと思っているんです」とジョージアナさんは言う。

 児童たちのBMI指数を保護者に報告する慣習は、ある子供が肥満と闘っていた数年前に遡る。そのとき、その子はカフェテリアから差し出される新鮮で低脂肪の食事と体操を続けていた。現在、いくつかの財政的に恵まれた計画によって得ためざましい結果の刺激を受け、デラウェア、サウス・カロライナ、テネシーを含む各州はBMI指数を存分に活用している。その報告書は、気取らない口調で肥満傾向を知らせるカードで、子供たちの新しい儀式になっている。

 ニューヨーク州を含む他州の議員たちも同様の方針を掲げており、学区単位で導入したところもある。

 地方にある南タイオガ学区では、各校が州の命じた報告書を配っている。一方で、朝食には相変わらずファンネル・ケーキやピザが出てくる地域だ。子供たちの中には一年の半分しか体操を受けない子もいる。03年度は34%が肥満か肥満の危険性があると指摘された。

 子供たちにBMI指数を知らせる健康問題の専門家たちがこの矛盾した状況をいくら心配しても、摂食障害や社会的不名誉になると警告しても、専門家たちが言う数字は曲解されて混乱を増すだけだ。高い数値には一種のやるせなさも漂う。
 
 「皮肉なことにBMI指数の調査を通じて肥満気味の子供を見つけ出しても、ひどい食事やスナック漬けといった状況が変わるわけではない。学校での体育も限られている」と、ボストン小児病院のデービッド・ラドビグ博士は言う。

 北中央ペンシルバニアの農家と工場労働者は、体重に関して医療専門家たちとは異なった見解を持っている。当地のピザ・チェーンはプジーと呼ばれている。マンスフィールドで最もしゃれたレストランでは、山盛りのフライドポテトが乗ったグリルチキンサラダが出てくる。

 この地域の中学2年生の60%は、03年度に85を超える数値が出た。4分の1が95超で、これは見るからに太っていることを示す。

 大人と同様、子供たちのBMI指数は体重に対する慎重の割合で算出する。だが、子供たちは年齢と性別によっても区切られ、「肥満」という言葉は使われない。

 北ペンシルバニア高校のミスに選ばれたホリー・ベルグソンさんは、20号の服を着ている。このコミュニティでは、体重に関してはおおらかであることを示す証拠だ。テレビの「ベイウォッチ」に出てくるスタイルには目もくれない。

 「自分の大きさなんて気にしないわ」と17歳のホリーさんは言う。ホリーさんはインスリン抵抗性があり、タイプ2の肥満の上を行く状態にある。「見た目じゃなくて、中身だもの」

 報告書が正当性を訴える根拠の一部は、学校が昔から測ってきた身長・体重検査の延長にあることだ。

 だがここでは、家庭へ送られる手紙は衝撃的な目に遭う。多くの親たちはそれを捨ててしまう。子供たちの体重について指図されることに怒り、地域基準では何の問題もない子たちが公には太りすぎだと言われることに我慢ならない。中学1年生たちは昼食時に数値を知らされた。そして少なからぬ子供が、カーリンドさんのように、もう食べ物を口にしたくなくなったと生徒や親たちは話す。

 今年、ペンシルバニア州が決めたことはBMI指数を幼稚園から中学2年までに通知することだ。ホリーさんは来秋、高校に適用される前に卒業する。ホリーさんは自分の体に自信を持っている。ライフガードで、堂々と水着を着る。このことが物語っていることは、子供たちにとって肥満を意味するものが、幼少期から変わってしまったということだ。

 子供たちの間では、太っちょをからかうことは日常光景だった。だが現在、マンスフィールド小学校のドリス・サージェント校長が言うには、あまりに太った児童がいるあまり、「からかいの種にはならなくなっている」。体重では2通りのからかわれ方がある。太っていることとやせていることだ。

 単に大柄な子供たちは「やせている子供をからかう。というのも自分自信の体重が好きになれないからです」。そう言うのは、マンスフィールド中学校3年のキャシー・アレンさん。アレンさんはやせていて、拒食症とからかわれることがある。

 マンスフィールド中学校から数マイル離れたところにある北ペンシルバニア中・高校では、目の霞んだ女子生徒たちが授業前に集まり、学校からの報告書が自分たちにはどうしようもできないことで責めていると不平を言っていた。

 「食べる以外のことが何かあれば違うのだろうけれど」と、生徒の一人ショーナ・ゲローさんは言う。

 最近ニューヨークへ修学旅行で出かけたら、自分たちがどこか別のぽっちゃりとした惑星からやってきたように感じられたそうだ。

 「ほかのみんなはこれくらいの大きさで」とキャシー・チェースさんは両手を狭めて言い「私たちはこんなものね」と両手を一気に広げた。

 BMI指数を知ると多くの人が似たようなことを感じるが、かといってどうしていいのか不安な気持ちにさせられる。

 この学区の給食業務を担当しているカレン・シックさんは、コストがはねあがっても、生徒たちが全粒小麦より白パンの方が好きでも、より健康な食事を少しずつ入れている。学区ではメニューを刷新し、ゲータレードとファンネル・ケーキの粉砂糖をやめた。だが、それでも栄養学的に混在した内容になっている。誕生日のカップケーキは戒められる一方で、カフェテリアではアイスクリーム・サンドウィッチやライス・クリスピーを売っていて、一度に5個買う生徒もいる。

 当地のカフェテリアでは最近、キーウィフルーツと地場産の生野菜を導入。大きな支持を受けた。だが、コストがかかるため、いまは缶のフルーツとアイスバーグ・レタスに戻っている。役所では関心を引き起こそうと熱心になる一方、全体の変化にはまだまだ時間がかかると認めている。

 同じ方針で、全生徒が毎年何らかの体操をしている。だが学校から45分かかるところに住んでいる生徒もいる。その生徒たちが家に着くころには戸外が暗くなり、外で遊べないこともある。そして行政側が指摘するのは、体重に問題のある子供たちの多くは放課後も指導を受ける必要があり、特別指導かチームスポーツに加わらなければならないということだ。

 ペンシルバニア州の教育委員会は、アーカンソー州のような資源は持っていないと言う。アーカンソーでは州のたばこ訴訟から引き出した資金を使って、子供たちの肥満増加率を遅らせることができた。

 また、マイアミ・デード郡の公立学校のようにカヤックを導入するといった風変わりなスポーツを導入する予算もない。そこでは、BMI指数95以上の高校生が、一学期で平均8ポンド(3.6キロ)体重を減らすことができた。

 生徒たちの食生活をうまく変えるためには、学校は生徒に個別に面談し、「本当に栄養バランスのとれた食事と運動」を提供しなければならないと、エール大学のマーレンス・シュワルツ教授は言う。「どれくらい果物と野菜を摂取しているか。炭酸飲料をどれほど飲んでいるか、です」

 クリスチーナ・ボヴェさんはブロスバーグ小学校へ通う3人の子供たちの母親だ。ボヴェさんは9歳になる息子クリスチャンさんの水着姿の写真をつかみ、息子が「太りすぎの危険」ではないことを証明しようとした。クリスチャンさんのBMI指数は92だ。

 学校の通達は不正確だし、無意味です。そうボヴェさんは言う。「学校は結果を通達してくるだけで、それをどう使えばいいとか、何を意味するかとかはまったく教えてくれないんだもの」

 ボヴェさんは8歳になる娘アローラさんの方が心配だ。アローラさんは最近、にんじんスティックばかり食べるようになり、体重を気にするようになった。「あの娘はお風呂から出てきて言うんです。『私は68ポンド(31キロ)。だれもそう思わないでしょう』」

 バターを使用しないポップコーンの一粒まで気にするような小さな子供には、BMI指数を知らせることは危険にもなると一部の専門家は言う。

 「学校からの通達は評価できます」とハワイ大学で摂食障害を研究する心理学者ケリー・ヴィトウセクさんは言う。健康な体重について公表しても「子供がどのようにそうなったかの背景を知らなければ、体重を抑えるために何らかの活動をしたと言い張ることになります」

 学校でBMI指数を通達する慣習は、心身両方の面において「手応えのない調査」であるにもかかわらず、肥満度を測ろうとする実験計画から来ている、とエール大学のシュワルツさんは言う。「どの州も試したことがない政策を採用しているのです」

 マイアミやニューヨーク市のある学区では、生徒別に必要なフィットネスを割り出している。BMI指数とともに、腹筋運動を何回やればいいかとかジョギングを何マイルすればいいかとかを教える。

 連邦疾病対策予防センターにすぐにも期待されていることは、BMI指数を割り出すことに何らかの見解を発表することだ。利点と欠点について指針を明らかにすることである、とされる。その一方、BMI指数の支持者は両親にショックを与えたり不快な思いをさせたりするという問題が重要だと話す。

 「もし家族が肥満の問題について正確な知識を持っていれば、BMI指数をつきつける必要はないだろう」とボストン小児病院のラドビグ博士は言う。「実際には、何が正常で健康的かを知らないゆがんだ子供たちが大勢いるのです」

 BMI指数は完全ではないが、効果的でコストのかからないツールだとラドビグ博士は言う。博士は05年の学会誌で、今の子供たちは親の世代よりも寿命が短いだろうと発表した。

 「子供たちの肥満の行く末はあまりに重大で無視できないのです」。そう博士は言う。(ジョディ・カントー)
http://www.nytimes.com/2007/01/08/health/08obesity.html
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映画「不都合な真実」 地球を救う希望
デイヴィス・グッゲンハイム監督の新作『不都合な真実』は、地球温暖化に関するドキュメンタリー映画だ。これはつくるべき作品ではなかった。とどのつまり、政治家のリーダーたちや政策主導者たちがやるべき仕事だからだ。将来待ち受ける災害から身を守り、科学者たちの研究成果に耳を傾け、市民を説得して人類の利益を守るために立ち上がるよう説得する。これらはすべて政治家の責任だ。

だが、だれもやらないとなると――地球温暖化に関する限り、党派的な行動にはなりえないのに――だれかが代わりにやらねばならない。それが映画監督であり、活動家であり、科学者であり、引退した政治家でさえあった。『不都合な真実』が作られるべきではなかったという意味は、そのまま作品の評価の裏返しとなる。

外見の予想とは逆に、この映画はアル・ゴア氏の物語ではない。多くは気候変動を多角的に解説したシーンだ。ゴア氏は過去数年、何度となくこの講演会を繰り返してきた。映画は政治から抜け出したゴア氏の解説とインタビューを随所に用意している。ゴア氏が映画に登場すると、ある意味では邪魔になる。この『不都合な真実』が、近ごろのお手軽で冷めた政治談義に成り下がりかねないからだ。だが冗談ではなく、二酸化炭素の排出の影響について心配するとリベラリストの変人になってしまうと考えたとしたら、まじめくさった話しかしないアル・ゴアというイメージと同じくらい古びている。ゴア氏は単にまじめに話すというよりは、聞き手を楽しませようと話している。

いずれにせよ、ゴア氏は腕利きの自己皮肉屋であることを証明してきた。『不都合な真実』のぞっとする要点をわかりやすく説明するために冗談も言う。それらの中には、大学の講義で学生たちの集中力を保たせるというスタイルで言えば、笑えるものもある。実際、ゴア氏のステージでのたたずまいは――前後に動いたり、資料を駆使したり、大げさにジェスチャーしたりするところなどは――政治家というよりは、大学教授といった風である。もしゴア氏が自ら言うように「元アメリカ合衆国の大統領候補」でなかったならば、今頃はどこかの大学の象牙の塔に落ち着き、ボルボ(か、もしくはプリウス)に乗っていただろう。

だが先述したように、この映画はゴア氏の話ではない。むしろ、心を不安にさせる情報を驚くほど魅力的に伝えてくれる。ゴア氏が説明する複雑な環境現象――いつも理解しづらかったジェット気流の説明が分かった――は明快だ。CGの中には陳腐なものもあるが、多くは厳しい現状を伝え、啓蒙的で力強くもある。

ほかの映画ならば、一枚のディスプレーがここまで恐怖を引き起こすことは考えられない。だが、二酸化炭素の排出量の危険水域を示し、気温上昇がスクリーンに現れるとき、その効果は激しく身も凍るほどだ。氷河が後退する写真――すでに起きてしまった気候変動の結果による――には、冠水した海岸線と同じく心が動揺する。ハリケーンの活動が活発になり、海水温が上昇していることは、ゴア氏の学術的な語り口でまさに危険なことであることが分かる。

ゴア氏は二酸化炭素の削減を「倫理上、すぐに行動しなければならないこと」として訴えている。この映画を見た人ならば、だれしも義務感にかられるだろう。それは完全に理にかなっているように思われる。幸いにも作品は良い仕上がりになっていて、90分をあっという間に思わせるほど上手に編集されている。ゴア氏の訴えにも真のドラマが感じられる。ひとたび見ると気分が落ち着かなくなり、知的な興奮を覚える。良い啓蒙テキストの例にならび、もっと知りたいと思うようになる。この作品は地球温暖化について知るべきすべてが含まれているわけではない。それが重要な点だ。だが、何かを始めるにはうってつけである。興味を持ち続け、急いで何かをしなければならないことを学ぶためには格好の作品だ。『不都合な真実』は、つくられねばならなかった作品なのだ。(A・O・スコット 5月24日付)

http://movies2.nytimes.com/2006/05/24/movies/24trut.html
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幼児たちの第二次性徴
親というものは子供の成長が早すぎるとしばしば思う。だが、さすがに対応できていない問題もある。マサチューセッツ医科大学のマイケル・デデキアン博士たちが、最近報告したケースだ。

5月にサンフランシスコで開かれた小児科学会で、就学前の子供たちに陰毛が生えるケースを報告した。たまたま報告された例ではない。2004年には、サンディエゴの小児内分泌学者が同様の5人のケースを報告している。

子供たちが幼児期に思春期の兆候を示してしまう例は数多くあることが分かっている。インフルエンザの流行や環境中毒のように突然発生するのだ。79年、医学誌のランセットが掲載したところには、イタリアの小学生たち数百人の胸が大きくなった。おそらく牛肉や鶏肉に含まれている女性ホルモン・エストロゲンが原因になったとされている。80年代にはプエルトリコやハイティでも同様な報告がある。

科学者たちは結論づけるところまでは行っていないし、原因を特定できるまで多くの実例を調べたわけではないが、就学前の子供たちに第二次性徴が起きる原因は、ある種の薬物、化粧品、「環境ホルモン」と呼ばれる環境汚染物が急増したことによるらしいと懸念されている。環境ホルモンは胸が大きくなる原因になり、陰毛が生えたり他の第二次性徴を引き起こしたりする。

たいていの場合、子供たちに思春期が起きる引き金は正しく服用されない薬を偶然飲むことが多い。

デデキアン博士の最初の患者は、遺伝的な内分泌物質の問題があることと珍しい脳腫瘍があることが分かった。第二次性徴の原因が分かる前だった。その少女の男性ホルモン・テストステロンの水準は成人男性の約100倍であることがわかった。同様の問題はその子の姉弟にも起きていた。

少女の父親は、ネット通販で濃縮男性ホルモンのスキンクリームを買い、美容と性的目的のために使用していた。父とのスキンシップを通じて、子供たちはテストステロンを吸収し、陰毛が生えて性器が大きくなる結果を引き起こした。少年の方は、攻撃的な態度をとるようにもなった。

性ホルモンは強力だ。というのも肌を通じて容易に吸収できるし、ほかの多くのホルモンよりも劣化しにくいからだ。インシュリンのようなプロテインが基になったホルモンとは違って、テストステロンやエストロゲンのような性ホルモンはステロイドと呼ばれる。コレステロールから発生しているという意味だ。

主に肝臓がつくるコレステロールは、小さな糖分の断片をつなげ、ねじり、めまいがするほど一続きに酸化させ、最終物質をつくる。その最終物質は、オリンピックの五輪に似ている。ノーベル賞受賞者でテキサス州で生化学者をしているジョセフ・ゴールドスタイン博士は、コレステロールのことをこう言ったことがある。「生物学で最も複雑に装飾された小さな分子だ」。というのもその研究から13のノーベル賞が生まれているからだ。

主に性腺と副腎が生成するコレステロールは、エストロゲンやテストステロンのような性ホルモンに転換する。カリフォルニア大学の前小児科部長ケネス・リー・ジョーンズ博士は、デデキアン博士が04年に発表したケースと類似の症例を指摘した。

アンドロのような規制されていない「プロホルモン」は、カーディナルスの元強打者マーク・マクガイアが使っていたことで有名だ。その後05年に国の法律で使用を禁じられたが、当時は性欲を高める局所的なスプレーとして手に入った。ジョーンズ博士が言うには、大人が使ったスプレーが、子供のベッドシートに染みこみ、スプレーの使用をやめて古いシーツを処分しない限り、幼児の第二次性徴が止まらないということだった。

テストステロンを含む製品だけが、子供たちの第二次性徴を狂わすのではない。

98年の小児科学会誌で、テキサスのブルック軍事医療センターで小児内分泌学部長を務めていたシャンドラ・ティワリー博士が、4人のアフリカ系アメリカ人の少女の胸が突然急成長したことを報告した。4人が使っていたシャンプーに、エストロゲンと胎盤から抽出したエキスが含まれていた。シャンプーの使用をやめると、胸の膨らみもとまった。

昔ながらの医師はわざと自ら病原体に身をさらす伝統に則って、ティワリー博士もシャンプーを使ってみた。博士は注意深く自分の男性・女性ホルモンの量を計測して基準値を割り出し、数日間使用してテストを繰り返した。

ティワリー博士はこの未発表の結果は取り扱いに注意しなければならないと付け加えたものの、性ホルモンの中にはシャンプーを使用後40%近くも増えたものがあった。性ステロイド以外の物質が正常な性の発達を妨げるケースもあった。5月にボストンで開かれた定期内分泌学会で、コロラド医学大学のクリフォード・ブロッホ氏は、男児がラベンダーとティー・ツリー油を含むシャンプーを使ったことで、胸が大きくなった症例を発表した。そのシャンプーはエッセンシャルオイルの添加物として広く使用され、大人たちには何の問題もなかった。(デデキアン博士の例とは違って、これらのケースは親たちが使っていたものが伝染したのではなく、子供自身が使っていたケースだった)

ブロッホ博士は、この症例について学会誌に執筆する予定だが、少年の胸が大きくなった理由について明らかになるかもしれないと述べている。だが、試験管での実験は人体とは似てもにつかないので、エッセンシャルオイルが胸を膨らませるかどうかは仮説のままだとしている。

小児内分泌学者たちが薬学的なケアやパーソナルケア商品を子供たちの成熟に結びつける一方で、広く行き渡った産業汚染物質や薬剤の汚染物質が魚や動物たちの性機能を狂わせると主張する環境学者たちもいる。これが拡大し、子供たちの性機能にも影響しているかもしれないと、これらの科学者は考えている。環境保護庁の上級生殖毒物学者ロバート・カヴロック氏は、過去10年にわたって環境汚染物質への懸念が「癌を引き起こすかもしれないという心配から、癌以外の病気にまで移った」とみている。

94年、プラスチック工業製品に含まれるエストロゲンのような化学物質が、イギリスの下水管を汚染し、オスの魚がメス化した遺伝子変化を科学者たちが見つけた。80年代初頭、DDTに似た殺虫剤がフロリダ州で大量流出して、アリゲーターのオスの生殖器官がメス化したという報告があった。

環境保護庁で生殖毒物学部門の内分泌学チーフを務めるラルフ・クーパーさんは、工場の化学薬品のような環境ホルモンになるさまざまな物質が、自然界に流れ出ている可能性があると指摘する。それらが子供たちの第二次性徴と大いに関係があることが疑われているものの、なお研究が必要だという。

しかしながら、過去の疫学的な証拠をクーパー博士は気にかけている。というのも、化学物質にさらされたことが幼児の第二次性徴と関係している例もあるからだ。73年、ミシガン州の住民数千人が難燃性のPBBに汚染された食品を口にした。そのことで後に少女たちの月経が早まった。プエルトリコは世界で最も思春期に入る時期が早い国のひとつだが、高濃度のフタル酸と呼ばれる可塑剤が子供たちに影響していた。

自然界から環境ホルモンを検出する政府のシステム作りは、立ち往生したままだ。

96年、議会は環境保護庁に環境ホルモンを3年以内に検出する総合計画を立ち上げるよう命じた。クーパー博士はそのような計画は始まっていないと言う。その計画の諮問委員の一員として化学工業界の代表がいて、強固な阻止にあったため失敗したという。次に広く告知するためのキャンペーンは07年12月に控えているが、クーパー博士は「夢に終わるかも知れない」と話す。批評家たちが言及しているのは、その計画のコスト高と信頼できる研究結果が乏しいことだ。

化粧品や処方薬に含まれる環境ホルモンから子供たちを守ることは当分難しいだろう。

89年、食品医薬品局は化粧品1オンス(28グラム)につき1万ユニットまでのエストロゲンを許容した。閉経後の女性が代替ホルモン治療として受けるほぼ定量の経口量だ。ティワリー博士が言うには、90年代初頭、ホルモンを含むシャンプーについて政府に不利な報告を提出したが、何も実を結ばなかったという。

食品医薬品局は、シャンプーによって「性的発達が進むことに関する報告には気づいていた」と言った。だが、「消費者が懸念する理由にはならない」と結論づけた。

「胎盤材料は化粧品の規制で禁止されたり制限されたりはしない」とティワリー博士は書いている。

デデキアン博士が言うには、アンドロのようなプロホルモンは今では商業上利用できなくなっているが、いわゆる複合薬品の規制が手ぬるいため、政府の監視なしに、両親に影響するような濃縮テストステロンクリームの製造と販売が可能になっているという。

テストステロンを含む塗り薬は、これから更に流通するかもしれない。2000年には、ソルヴェイ医薬品が食品医薬品局にかけあい、アンドロジェルの認可を得た。アンドロジェルはローTと呼ばれるテストステロン不足を補うための塗り薬だ。同社のサイトによると、45歳以上の1300万人に当てはまるという。2000年から04年までに、テストステロンを処方した数は倍増し、年間240万以上になった。

ソルヴェイ医薬品はアンドロジェルが引き起こすリスクについて、マウント・サイナイ医科大学のナタン・バルチャマ準教授に照会した。

バルチャマ博士は、スキンシップによってホルモンが子供たちに移る理論的危険性を認めたが、試験した数百の例ではそのようなことはなかったと述べた。だが、その商品を使うときは十分に気をつけ、ジェルを塗った後は手を洗い、服を着て肌と肌の触れあいを避けるように博士は付け加えた。

03年の米医学研究所の報告では、「テストステロンを服用する人の数は増える一方、その影響に関する科学的データは不足していることが懸念される」としている。

報告の議長でデューク大学の精神科医、ダン・ブレイザー博士は「何をもってローTと定義するかの状況は見つからなかった」と言っている。

00年の医学雑誌で発表されたローTにアンドロジェルが効くかどうかの主要な臨床試験は、プラシボグループ(偽のローションを受けとった患者)もコントロールグループ(ローTになっていない患者)も比較対象として入っていなかった。

ハーバーUCLA医学センターの内分泌学チーフ、ロナルド・スウェルドルフ博士は、ソルヴェイ社のために研究し、臨床試験は限定された範囲だったと述べている。(ダーシャク・サンハヴィ 10月17日付)
http://www.nytimes.com/2006/10/17/science/17puberty.html
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個人用ジェット機、お買い時
大金持ちというものは、読者諸氏だけでなく小金持ちとも違う。例をあげるならば、本当にすてきな飛行機を持っている人たちもいる。

飛行機といっても、ガルフストリームG5やグローバル・エクスプレスのようなプライベートジェット機の巨人の話ではない。それらの所有者は、確かに大陸や海を高速でぜいたくにひとっ飛びできる。商業用飛行機のわずさらわしさ、つまりスケジュールに縛られたり見知らぬ人と同席したりする必要はない。

今回お話するのは、ジャンボジェット機を個人用ジェット機に改造してしまった話だ。乗客や友人たちを好きなだけ乗せられるだけでなく、ロールスロイスや競走馬さえ乗せることができる。特別装備の個人用ジャンボジェット機だ。通常ならば300〜400人は運べる機体だ。だが、せいぜい20人前後のために内装を仕立て直してある。

多くのオーナーたちが果敢にアップグレードしようとしている市場では――例えばボーイング737から始めて、しだいに繰り上げていく――注目の的になっている機体はボーイング787ドリームライナーだ。価格にすると約1億5000万ドル(180億円)になる。

個人用ジェット機として、少なくとも新たなVIPモデル用にルフトハンザ・テクニク社がオーランドの国際航空ショーで展示した787は、35席の客席がある。そのほとんどがフルフラットシートで、クイーンサイズベッドとダブルベッドも装備しているという。

商業用の飛行機としては、787は210人から330人を乗せることができる。

「世界にはVIP用に内装を仕立て直したボーイング747が39機ある。そして757,767は多くあり、MD11も1機、777も2機ある」とルフトハンザ・テクニク社のアアガ・デューンハウプトさんは話す。同社はルフトハンザ航空の子会社で、個人または企業向けに新旧の(または「前所有者」の)飛行機の内装を設計し直している。

787が市場に出回るまでは08年まで待たねばならないが、航空業界の専門家が言うには、飛行機の内装は大きな市場になっているという。というのも、豪華な個人用ジェット機市場に常に大きな関心が向けられているためである。いま注文すれば、ラインの最前線に立てるという。

スイスのプライベットエア社は大型機を個人向けに改装してチャーター便あるいは個人便の事業をしているが、ボーイングから787を買って豪華な内装にすることを検討しているという。同社のグレッグ・トーマス社長はそう言った。

「私たちは契約内示書にサインしました。そして契約の細かい部分に関してはまだ交渉中です。もう頭金も支払っています。787にはとても興味があります。能力は高く、だれをも満足させる品質です」とトーマス社長は言う。

プライベットエア社は大型機のVIP用フライトを専門にしてきたが、現在は50機の飛行機を取り扱っている。そのなかにはボーイング757もあり、世界中の政府が特別目的でチャーターしている。757はいわゆるエアクルーズにも年3,4回使っている。「21日間の世界旅行で、主に退職したアメリカ人が対象です」とトーマス社長は言う。旅行代は一人5万ドルから7万ドル(600万円〜840万円)という。

これらの飛行機は特別なビジネス目的にも使う。「映画にも使用しました。『オーシャンズ11』『オーシャンズ12』『キング・コング』などに」とトーマス社長は話す。「映画会社は飛行機を俳優の送迎に使ったりプレミアに使ったりします。『マトリックス』シリーズでは、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールと飛び回り、次から次にやってくる舞台挨拶に間に合わせました」

同社は767を注文し、年末には納入されるとトーマス社長は言う。

ジャンボジェット機をよく好むのは、アラブの王族たちや華美な生活を明かしたくない大富豪たちだという。市場では777,767,757が大物経営者たちの目をよく引く。グーグルの共同創始者ラリー・ページ氏とセルゲイ・ブリン時は昨年中古の767を買い、数百万ドルをかけて個人用ジェット機に仕立てた。

商用サイズのジェット機は個人のビジネスマンも使う。その一人、ウィリー・ゲイリー氏はフロリダの移民社会で育ったが、現在は有名な弁護士だ。空港で無駄な時間を過ごすことに嫌気が差し、空の上でも仕事をするスペースが欲しいため、ゲイリー氏は数年前にボーイング737を買い、個人用ジェット機に改装した。ゲイリー氏は16席のガルフストリームG2も所有している。その飛行機は「セカンド・プレーン」と呼んでいる。

ゲイリー氏はもっと大きな757を買うことも検討した。だが現在は、787ドリームライナーが売り出されたら早速買うつもりだという。

「737では、証言を記録することができます。ミーティングや会議を開くことができます。乗るときも降りるときも移動中もぜいたくな思いができます。一日に5つの州を訪問したこともあります」とゲイリー氏は言う。「でもずっと737で満足しているわけではありません。私は常に目標を定めます。何か新しいものをいつも探しているのです」

商用サイズの大型機の需要が急成長するなか、ルフトハンザ・テクニク社は787の内装を設計する部署を立ち上げていると話す。

インテリアを共同で手がけるのはアンドリュー・ウィンチ氏、大型クルーザーの内装で有名なトップデザイナーだ。

ここ数年、ルフトハンザ・テクニク社は747の内装12機分を手がけてきた。何も手を加えていない状態では1億8000万ドル(213億円)するという。「VIP用にフル装備すると、内装にもう5000万ドル(60億円)かかります」とデューンハウプトさんは話す。

747の中には、緊急治療室を備えたものもある。「空の上で開胸手術ができるものもあります。でも、たいていは着陸しているときに手術しますけれど」

ルフトハンザ・テクニク社は現在、大幅に納入が遅れているエアバスA380の基本設計を担当している。エアバスA380は、世界最大のジェット機になる予定だ。

個人用ジェット機よりもぜいたくな空間がある大きさに加え、A380はステータスを気にするオーナーたちに訴える力があるかもしれない。部下たちと旅行する人に対して。その光景は、大洋航路線の時代を彷彿とさせる。そこでは社会的階級も物理的に分けられている。

「A380は、VIP中のVIPと普通のVIPを隔てることができるでしょう。デッキが2つあり、別々にいることができるからです」。そうデューンハウプトさんは話している。(ジョー・シャーキー 10月17日付)

http://www.nytimes.com/2006/10/17/business/17megajets.html
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アルツハイマーの過程描く自画像
ロンドン在住のアメリカ人作家、ウィリアム・アターモーヘン氏が95年にアルツハイマーになっていることを知ったとき、独特な方法でそれに応えた。

「病気を知った瞬間から、自画像を描くことで病気を理解しようとした」と妻で美術史の教授であるパトリシア・アターモーヘンさんは言う。

アターモーヘン氏の自画像がマンハッタンのニューヨーク医学アカデミーで展示中だ。アルツハイマー協会の協力で実現した。

絵画を順に追っていくと、作家が徐々に痴呆へ転げ落ちていくことが明らかにわかる。世界が傾き始め、遠近がなくなり、細部は溶けてしまっていく。妻と医者が言うには、アターモーヘン氏は技術的に足りない部分が混じり込んできたことは時々気づいたけれど、どう修正すればいいのか分からない様子だったという。

「空感覚がどんどん逃げていって、彼もそれには気づいていたと思います」と妻は言う。ある精神分析医は、アターモーヘン氏の絵には悲しみ、不安、あきらめ、弱さと恥じらいが描かれていると分析した。

脳に障害をもった人々の芸術活動を研究しているカリフォルニア州立大学の神経学者、ブルース・ミラー博士は、そういう患者でも力強い作品を制作することは可能だと話す。

「アルツハイマー病はとくに右側の頭頂部に影響が出ます。その部分は心の中で何かを思い描き、キャンバスに表現するために重要な部分です」とミラー博士は話す。「アートはより抽象的になり、イメージはぼんやりとあいまいに、超現実的になります。美しく、繊細な色合いを使うことが時としてあります」

アターモーヘン氏は現在73歳で、老人ホームにいる。すでに筆は持っていない。

作品はこれまでいくつかの街で展示されてきた。さらなる企画もある。病気の遍歴として絵を見られることはほろ苦いと妻は言う。なぜならキャリアの頂点に受けた認知を超えているからだという。


「彼はいつもアウトサイダーでした。彼は同時代と同じ時間割通りにはやってきませんでした。みなは抽象表現主義をやってきましたが、彼は具象を続けてきました。病気になってからの作品の方が有名になるとは、何とも奇妙な感じです」。そう妻は話す。(デニス・グレーディ 10月24日付)
http://www.nytimes.com/2006/10/24/health/24alzh.html












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映画「父親たちの星条旗」 恐るべき戦い
第二次世界大戦でまだ語られるべきことが残っていたとは信じがたい。これまで何度も描かれてきたことは、みなオスカーの投票者たちが咀嚼し、消化し、吐きだしてきたものばかりだからだ。だがここに、76歳になるクリント・イーストウッドが新たなメッセージを新作に掲げて登場した。人間たちの荘重な戦いと映画像によって、戦争を遂行することと戦う人間たちに新しい何かと差し迫ったものが伝わってくる。『父親たちの星条旗』は遠い戦場で起きた究極の衝突を描いている。だが、間違いなくこの作品は、政治的な苦悩も秘めた作品になっている。

映画はジェームズ・ブラッドリー氏とロン・パワーズ氏が書いた同名の感動的な本を原作にしている。硫黄島での戦闘を経てアメリカ国旗を立てる話だ。ブラッドリー氏の父、ジョン・ブラッドリー氏は旗を打ち立てた6人のうちの1人だ(その日二度目の旗揚げだった)。1カ月続いたアメリカの攻撃の5日目に、島の最も高い地点に掲げた。ジョンのニックネームはドクで、ライアン・フィリペが抑制の効いた演技で演じている。APの従軍カメラマン、ジョー・ローゼンタール氏はその瞬間を永遠にとどめた。母国の政治家たちはその日に目を付け、旗を打ち立てた生き残り3人、ドク、イラ・ヘイズ(アダム・ビーチ)、リーン・ギャグノン(ジェス・ブラッドフォード)を戦意高揚のために大々的に駆り出した。
輝ける海の英雄たちとしてあがめられ、レネはスポットライトを一身に浴び、ドクは反対に日の当たらない場所に落ち着く。一方、ピマ族出身のイラは硫黄島と死者に廃人のようにされ、何もかも忘れようと酒びたりの日に入る。ドクの成人した息子(トム・マッカーシー)が数年後に父の物語を語ろうと努力することで、映画は足場を得る。だが、ビーチが演じるイラの正直さと傷つきやすさこそが、その思い出を絶えず思い浮かべる。酒混じりの涙を浮かべ、イラは剥き出しの感情をあふれ出させる。それは『硫黄島の砂』のような忠信的なフィクションに対する非難となっている。49年に発表されたその作品では、悪い冗談でもあるかのようにジョン・ウェインがアメリカ国旗を本物のイラ、ドク、レネに渡し、もう一度星条旗を掲げさせる。硫黄島ではなく、南カリフォルニアの砂浜にだ。

イーストウッド監督が映画で見せた逆構造解釈は、歴史上の記録をかなり暗い側面から捉えている。アメリカ軍が45年2月19日に上陸する前、空軍が繰り返し硫黄島を爆撃した。D-デイまでに草の根まで息を止められていて、2万人以上の日本兵が塹壕に潜むことになった。焦土を再現するために、イーストウッド監督は色を絞って撮影したフィルムから更に多くの色を引き抜いた。その結果、島の撮影はモノクロフィルムで撮影されたように見えた。黒こげとなった薄気味悪い場所ではいかなる生き物も生き残ることができないように見える。そして上陸後間もなくすると、アメリカ軍の死体がオレンジ色の爆発と赤い血しぶきの中に積み上がっていく。

この不安な時間が続く間、イーストウッド監督は目線(と耳)を軍隊に合わせ、演出された混沌とした動きから離れずにいる。焦点は兵士に合わせたままだ。兵士が上陸するとカメラが近づき、一緒に動き、弾丸の嵐が起きると、逃げ場を一緒に探るかのように一緒に走る。時々俯瞰的な視点に切り替わって、この信じがたい規模の作戦を強調するが――数百のボートが沿岸に浮かび、数千の兵士が陸地に散らばっている――映画は見る者を圧倒する細かさを保ち続ける。砂浜には死んだ兵士がうつぶせになっている静かなシーンがあり、死体の下から水が血のように引いていく。

硫黄島の光景は悲惨だ。境界は非現実的で、ドク、イラ、レネが島を去った後でも、その光景から完全に逃れることはできない。戦意高揚パレードの間でも、カメラのシャッター音、フラッシュ、エンジンをふかす音が突如3人を硫黄島とその恐怖に引き戻す。過去と現在が混ざり、イーストウッド監督とエディターのジョエル・コックスの途切れない無慈悲な巧みさで、恐ろしい記憶が繰り返される。ブラッドベリー氏とパワーズ氏の原作では、あるベテラン帰還兵が医大の授業中に死んだ友人を思い出した話を語る。元兵士が言うには、そのフラッシュバックは「私を包む映画のワンシーンのようだ」という。まさにそのシーンが映画に映っているのであり、それはひどいの一言に尽きる。

たいていの戦争映画は、たとえ反戦を唱えていても、あからさまに、あるいはそれとなく、暴力を政治的あるいは映画的な手段として用いる。ロケット砲の赤い光線や死の光景のスリルに抗える監督はほとんどいない。暴力はつい興奮してしまうものだ。『父親たちの星条旗』には戦闘シーンが数知れずあるが、ウィリアム・ブロイヤーズJrとポール・ハギスの脚本が3つの時間軸を行ったり来たりするため――硫黄島、戦勝ツアー、それとあまり成功しているとは言い難いが、ドクと息子の現在のシーン――、また星条旗を立てても戦闘が続くため、その戦争で見ることになる暴力はものすごいピッチのままだ。増えもしなければ減りもしない。ただひたすら恐怖をもたらす。

戦争映画から期待するものは何だろうか。たいていはエンターテインメントだ。異国の時間と地への数時間の逃避、さらに興奮できる何か、おなじみの勇気づけられる何かだ。もし『父親たちの星条旗』が普通の戦争映画とは違って感じられ、通常の政治的レトリックとは対照的に思われるならば、その理由は戦争は地獄だと言っているからではない。たしかに瞬きも許さぬほど目の覚める惨劇が映し出されるが。理由はイーストウッド監督が主張していることにある。今時の映画では極めて希なほど強い確信を込めて、人を殺すよう命じるときには言葉にならないほどのコストがかかるということを引き出しているからだ。アメリカはこの戦争を戦わねばならなかったということは、決して疑いようがない。そう、それは必要だった。だが、そのような必要は恐怖に満ちたものだった。『父親たちの星条旗』ではそう描いている。決して歓喜が起きるようなものではなかった。

この点において、映画はとりわけスティーヴン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』をやんわり補うものになっている。最先端の映像技術で映し出した大殺戮と童話のように整然とした語り口で(スピルバーグ氏のドリーム・ワークも映画の権利を買い、共同プロデューサーとなっている)。『プライベート・ライアン』がテクニックを披露した一方で、イーストウッド監督の作品は形而上学を打ち出している。いまいちど、映画は暴力と男たちの心の核心に見る者を誘う。それらは爆発で独立記念日の夜ほどまばゆくなった夜空の下で収束する。洞窟の中では、死を前に苦しむ兵士もいて、狂気にかられている兵士もいる。観客が目にするのは、欠点があるがゆえに人間であることを示す兵士たちである。わき上がる反感とは逆に、人を殺すといっても彼らも同じ人間だ。

イーストウッド監督の視点は、年と共に円熟味が増し、それまでの自分の作品に生気を与えてきた暴力を、少なくとも真剣に考え始めたということだろう。事実、批評が監督に追いついた。イーストウッド監督は何十年にもわたって魅惑的な一連の作品を生みだしてきた。やむことのない暴力がアメリカの特徴であり、決して逸脱ではないと作品の中では考えている。『父親たちの星条旗』はその一連の作品に不完全ながらも付け加えられるべき作品だ。とはいえ欠陥は見えない程度のものだし、アンビバレンスとあいまいさが世界観を構成している作品では、無関係といってもよい。イーストウッド監督の次作『硫黄島からの手紙』は来年公開されることになっている。同じ戦いを逆の視点から見た作品で、日本人の目から見た硫黄島がそこにはある。(マノーラ・ダージス 10月20日付)
http://movies2.nytimes.com/2006/10/20/movies/20flag.html
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